2011年7月29日金曜日

福祉のまちづくり発祥の地としての仙台

Posted by ゆにふりみやぎ 運営責任者 伊藤清市さんです。

Google プレイス仙台キャンペーンブログでは、仙台で若手起業家やサラリーマン、OL、学生などが世代や業種を超えて集える自由な「アジト」を運営し、新たな価値やニュースの創造を促進・サポートを行っているNPOファイブブリッジ様にご協力頂き、仙台から様々な情報をお伝えしていきます。

今回は、ゆにふりみやぎ 運営責任者 伊藤清市様に「福祉のまちづくり発祥の地としての仙台」ついてご寄稿頂きました。

ゆにふりバリアフリーマップ仙台市街地編 を地図で表示

1960年代後半、高度成長期の影で公害問題が噴出し、トップダウンの都市計画からボトムアップのまちづくりが叫ばれてきた頃、仙台では「みんなと同じように街に出たい!」という障害者自身の声が介助者や支援者を巻き込み、店舗や公共施設の入口に簡易スロープを敷設する「福祉のまちづくり」運動が始まりました。

この取り組みは瞬く間に全国に波及し、1973(昭和48)年、全国の車椅子ユーザーが一同に会する「車椅子市民全国集会」が開催。同年仙台市は厚生省(当時)から全国初の「身体障害者モデル都市」に指定されるなど、障害者を主体とした住民が国をも動かした歴史として、仙台は「福祉のまちづくりの発祥の地」と呼ばれるようになりました。

平成以降、ハード面においては高齢社会の到来や科学技術の進歩と同時に、「ハートビル法」や「仙台市ひとにやさしい福祉のまちづくり条例」に代表される法的整備がなされたことが大きいでしょう。一方、ソフト面では2001(平成13)年に開かれた宮城国体と第1回全国障害者スポーツ大会でスローガンになった「バリアフリー国体」が県民の心に響き、成功に導いたことが記憶に新しいと思います。両大会では、チャレンジドパートナーと呼ばれる方々が来県された方々をもてなしホスピタリティの充実が図られたとともに、現在に続く「とっておきの音楽祭」が誕生しました。

そして国体から10年。当時まだまだ脆弱だったネット環境で試行錯誤しながらバリアフリー情報発信していた私たちも、飛躍的に使いやすくなったネット環境の恩恵を受け、発信はもとより、外出先からも簡単にバリアフリー情報を手に入れる
ことができるようになりました。今後も先人たちが培ってきた「福祉のまちづくり発祥の地」の名に恥じないよう、新陳代謝する仙台のバリアフリーの現在を発信し続けていきます。

ゆにふりみやぎ http://www.uf-miyagi.jp







仙台を代表するバリアフリー施設 せんだいメディアテーク

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