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今回は、和醸良酒〇たけ 店主 石山健英様に「御譜代町」ついてご寄稿頂きました。
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大町 日本銀行仙台支店側 |
伊達 62 万石の城下町、「杜の都」仙台。
自然と歴史が色濃く残るこの街には、御譜代町(ごふだいまち)と呼ばれ、人々が息づく下町が存在する。
藩政時代から続く町人町、現在の大町、肴町、南町、立町、柳町、荒町の 6 町である。
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荒町 荒町通り |
私はこの御譜代町に縁があるようで、奥州街道沿いの「荒町」に住み、青葉城址に程近い「大町」にて江戸の煮売り屋を模した酒場を構えている。
半ば愛着とも思える、これらの町並みが織り成す居心地の良さはどこから生じてきているであろうか。そこにはきっと何かしらの魅力があるに違いない・・・。
御譜代町の歴史は古く、米沢(山形)を居城としていた伊達家が、1590 年に岩出山、1601 年の仙台 開府と、本拠地の移転の度に従事してきた 6 町が、割り出しされたことに始まり、総じて伊達御供(だておとも)とも称されている。
そのため、御譜代町は仙台城下 24 ある町人町の中でも上位に町列が位置づけられ、藩からの木綿や絹布、油、穀類など個別の専有特権を得 て、6 町は商人・職人町的な特性を帯びながら、藩政期の仙台を代表する商業の中心地としての繁栄を見せていた。
明治期に入り、この経済特権は全廃されるも、戦前までの御譜代町は仙台城下の威風を伝える商業地区として賑い、1945 年 7 月 10 日の仙台空襲と、その後の 戦後復興による都市整備によって転機を迎え、現在のような主要道路をつなぐ小規模な商店街や業務ビルが立ち並ぶ姿に変えていく。
しかし、時代による栄枯盛衰はあっても元来御譜代町は目的が持って創られた町であり、また人々の活気と交流が構築・保持してきた町並みである。
少なからず商店・職人の性格を今日に残しつつ、今も古き良き仙台を伝える町としての役割を担っている。
私の御譜代町への愛着も「人」をつなぐ「和」を育んできた、この町の普遍的な特異性にあるのかもしれない。
『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也』を体言する如く、御譜代町を行きかう人々の交流は今日も静かに歩み出す。
赤:大町
黄:肴町
青:南町
緑:立町
紫:柳町
橙:荒町
より大きな地図で 御譜代町 を表示
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